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報連相が会社を滅ぼす!電波少年はナゼできたのか?【第58回ウェビナーレポート】

公開日:2021.07.28 最終更新日:2023.06.20

さまざまな無茶に挑戦した伝説的バラエティー番組
「会社に黙っていたから放送できた」

桑江:1992年にスタートした日本テレビ系列のバラエティー番組「電波少年シリーズ」と言えば、過酷で過激な企画が目白押しでした。テレビ史上類を見ないような番組は、どのような経緯で始まったのでしょうか。

土屋:「進ぬ!電波少年」が終了してもう18年ですが、今でも「もう一度やれませんか」と尋ねられます。ところが、すぐに「今はコンプライアンスが厳しいから放送できませんよね」とも言われるんです。
あまりにもそう言われることが多いので「本当にそうなのかな」と考えるようになった結果、気付いたことがあります。もちろん、当時のテレビ番組にも、やってはいけないことなどのルールはありました。それなのに、なぜ放送できたのか。それは、会社に黙っていたからなんです。

桑江:上司にも内緒で番組を作っていたのですか。

土屋:そんなことがあり得るのかと驚くかもしれませんが、テレビ業界は特殊なんです。多くの人は、番組が放送されるまでにはさまざまな立場の人がチェックをするはずだと思うでしょう。しかし、あの頃はプロデューサーの一存で放送直前の番組を差し替えたり内容を修正したりすることがあったんですよ。

桑江:そうなんですか。

土屋:「進め!電波少年」が始まった当時、僕はプロデューサーの下で働くディレクターでした。「アポなしロケで首相官邸に行き、内閣総理大臣の椅子に座らせてもらったら面白い」と思いついたのは、いろいろな企画を考えていたある日のことです。
プロデューサーに「首相官邸に突撃していいでしょうか」とお伺いを立てたら、「土屋がそう言うならいいだろう。何かあったら自分が責任を取るから」と承諾していただけました。
でも会社のルールとして、そのプロデューサーはチーフプロデューサーに、チーフプロデューサーは局次長に報告したんです。そうして局次長が局長に伝えたところで、「止めておけ」とストップがかかりました。
実は、局長がそう言う前にロケは済ませていたんです。首相官邸には入れてもらえませんでしたが、それはそれで面白い企画になりました。でも「止めておけ」という話になった以上、放送は断念せざるを得ませんでした。
そこでたどり着いた考えが「報告・連絡・相談(報連相)をすれば、どこかの段階で誰かに『止めておけ』と言われてしまう。だったら、報連相など止めてしまおう」ということだったんです。

桑江:報連相をしなかったからこそ生まれたのが「電波少年」だったんですね。

「あんなものは…」と言われるものにこそ未来がある

土屋:「電波少年」はイノベーティブな番組です。「予定調和より非予定調和である方がテレビ的ということを発見した」「今のテレビ番組のあらゆる基礎をつくった」と言われています。
テレビ番組の歴史にはいろいろな結節点がありますが、「電波少年」は「何かが起こるかもしれない」と期待させるワクワク感をはっきりと形にしました。
そんなイノベーションを起こした「電波少年」の方法論は、他の業界にも当てはめられるのではないかと思います。つまり、報連相をしなければイノベーションができるということ。逆に言えば、報連相をしている限りイノベーションは難しいということになります。

桑江:「報連相を無視することなどできない」と思ってしまう人も多いかもしれませんね。

土屋:例えば、職場で何かの企画を考えろと言われてアイデアを出したら、「こんなことはできるはずがない」「以前やったらうまくいかなかった」「今は無理だ」といった理由で却下された経験がある人もいるのではないでしょうか。
「電波少年」の放送が始まったときも、先輩たちに「あんなものはテレビじゃない」と言われました。社内のプロたちは「テレビ番組とはこういうものだ」という固定概念に縛られていたんですね。
「電波少年」に最初にビビットに反応してくれたのは高校生の男の子たちですが、そうしたユーザーは次の時代に相応しい新鮮な番組を求めていました。つまり「あんなものは〇〇じゃない」と言われるものこそ、その分野の未来なのです。「〇〇」は、いろいろな業界に当てはまるのではないかと思います。

桑江:「あんなものはテレビじゃない」とまで言われたのですか。

土屋:ピラミッド型の採択システムでは、どこかで「止めておいた方がいい」と言う中間管理職が出てくることが容易に想像されます。今や日本中の企業がイノベーションを起こしたいと願っていますが、報連相至上主義はそれを阻害するものでしかありません。だから、報連相は会社を滅ぼすというわけです。

桑江:なるほど。

テレビの歴史を切り開いてきた「独断」

土屋:ドイツ帝国の宰相、オットー・ビルマルクの言葉に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という格言があります。「こういうリスクがある」「以前同じようなことをして失敗した」という経験からのコメントは、ピラミッド型の報連相をしていると必ず出てきます。これにより、イノベーションが阻害されるわけです。
一方で、歴史から学ぼうとすると、どんなことが見えてくるでしょうか。テレビ業界の70年間を彩ってきた歴史的な番組はどれも、作り手たちが「そんなものはテレビじゃない」と会社に反対されたのを押し切って誕生しました。
例えば「北の国から」が始まるまでは、全面的に富良野で撮影するドラマを制作することなど考えられませんでした。また、「ザ・ベストテン」のように「この歌手に交渉したけれど出演してくれませんでした」と言ってしまう歌番組など成立するわけがないと思われていたのです。
ところが、それが次の時代のテレビ番組でした。すべての革命的な番組は、その時代のテレビマンたちが独断で、いわば強引にやり切ったものです。それがテレビの歴史ですし、テレビを生き延びさせてきた原動力ということになります。

桑江:経験にばかり頼ると、ブレーキになってしまうかもしれないというわけですね。

土屋:報連相をすることで「自分に責任はない」「上司に言ってもどうせ無駄だろう」と考えてしまう現場社員、「それは聞いていない」「どうなっているんだ」と指摘するだけの中間管理職、そして「今は変化のときだ」「生まれ変わろう」と言うだけのトップ。
こうしたことが本当の意味での変化、イノベーションを阻害しているということを意識できていない会社は勝ち残れないでしょう。デジタルシフトにも対応する変化、イノベーションを起こせる組織をつくることは、すべての会社にとって急務だと思います。

ユーザーエンゲージメントに不可欠な「キャラクター」発揮

桑江:まさにイノベーションを起こした「電波少年」ですが、社内外で発生したであろうトラブルやクレームにはどう対処したのでしょうか。

土屋:テレビ番組は放送翌日に視聴率が出ますが、30.4%を記録した最高視聴率などの結果に応援されたのは確かです。また、当時のトップがすごくかばってくれたのも大きかったですね。いくつかトラブルがあっても何とかしてやろうという大きな器があったということでしょう。
クレームの電話は山ほどかかってきたのですが、あるとき「それを放送してやろう」と思いました。電話の主から聞き出した住所に出演者を向かわせ、玄関の前で「申し訳ございません、謝りに参りました。許してもらえるまで帰りません」と叫ばせて土下座させたんです。翌週、その模様を放送したら、クレームはピタリと来なくなりました。「下手に電話をしたら、こいつらが家に来てしまう」と恐れられたんでしょうね。
そういう意味で、視聴者との間にはある種のインタラクティブがあったと思います。「まともに相手をしても仕方がない」「言っても聞かない」と思ってもらえる番組のキャラクターをつくれたのも奏功したのではないでしょうか。

桑江:そうしたクレーム対処の経験から、企業のSNS担当者などへのアドバイスはありますか。

土屋:こちらも人間であるというのを示すことが大切でしょうね。ユーザーはマニュアルが見えた瞬間に冷めてしまうと思うので、それぞれの会社にある「ピュアな思い」をむき出しにしていくことが大事です。東京五輪の準備をめぐるさまざまなトラブルも、偉い人たちがブラックボックスの中で物事を決めている印象があったので、ますます炎上しやすくなっていたように感じます。
ユーザーに寄り添っていると共感してもらえるレベルまで持っていけるかどうかは、こちらのキャラクターをどこまで出せるかに懸かっていると思うんですよ。
例えば、Twitterの運用について報連相でいちいち上げていくと、当たり障りのない情報しか発信できなくなってしまうでしょう。だから、そこはある人間に、本人のキャラクターの中で任せるべきだと思います。

桑江:番組作りに打ち込む一方で、「失敗してクビになるかもしれない」という恐怖心はありませんでしたか。

土屋:正直に言えばありましたし、何度も辞表を出そうと思いました。だけど、「面白いことをやりたい」という欲求もあったんです。いつも「何とかなるだろう」と思っていましたし。そういう気持ちの強さが「クビになるかもしれない」という恐怖心を上回っていたので乗り越えられたのだと思います。

桑江:土屋さんは以前、noteに「企画は会議で生まれるものではなく、1人で考えるものだ」と書いていました。多数の意見より1人の感性を発揮する方がイノベーションを起こしやすいということでしょうか。

土屋:そうです。まさに1人の感性がイノベーションを起こすんです。もちろん、いろいろな人に話を聞くことは大事なので、自分が何かアイデアを思いついたらたくさんの人に披露してみることも大事ですね。
いろいろな意見を言われるでしょうが、それらの中には多くのヒントがあります。ヒントを形にするのは自分ですが、崖っぷちまで行けば誰かが手を差し伸べてくれることもあるんですよね。だから、そこまでは1人で突き進む覚悟が必要です。
WOWWOWとYouTubeで配信している番組「電波少年W~あなたのテレビの記憶を集めた~い!~」はある種の恩返し、自分の中での総括という意味もありますが、歴史を考えることで次へのヒントを得られるという思いから取り組んでいます。

桑江:ありがとうございます。最後に改めて、本ウェビナーを聴講している皆様にメッセージをお願いできれば。

土屋:僕は才能があるわけではなく、テレビ番組を作るのが好きなだけです。番組の企画は毎日、いつの間にか考えているのが当たり前なんですよね。毎日何かをするのはすごく力になります。そうして毎日できること、毎日やっても嫌ではないことが職業になったのはとても良かったですし、そういう環境の会社にいられたのは非常にラッキーでした。
イノベーションに関して、ウェビナーでは割と刺激的なことを言ったかもしれませんが、「変わろう」と口にしているトップはすごく多いんです。でも、下から何かが上がってくるのを待っているだけでは何も変わりません。それは、すべての業種の会社に言えることだと思いますね。

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